介護職員が知っておきたい社会福祉と福祉の仕事

社会事業の歴史

近代に至るまで、日本国内において社会的な弱者を助けようという取り組みは相互扶助の精神にもとづいて行われていました。
ただそれはあくまでも人々の善意にもとづくものであり、同じように困っている人たちがいつも変わりなく同じ内容の援助を受けることができるという性質のものではありませんでした。

 

制度として保障されているものではないために、さまざまな条件によって左右されてしまう不安定なものであったのです。
地域の人たちによる助けだけでなく地域を治めていた人たち、経済的に裕福であった人たち、宗教の教えを広めている人たちなど、援助をする人もさまざまでした。

 

こういった主体が一定していなかったことでも、ある意味では人々の気分次第であるともいうことができ、その気にならなければ実現されないものでもあったのです。
また、これはいろいろな関係性で上に立っている人が、下の立場にある人へ行うものでもありました。

 

その当時の社会制度についても封建社会というものであり、身分の上下という「タテ」の関係にもとづいたものでした。
身分にもとづく社会は江戸時代における士農工商に至るまで続いていましたが、この身分制度は明治維新を機に撤廃されます。

 

明治の中期頃までは、制度的慈恵の時代であったとすることができます。
一応の制度というかたちではありましたが、その考え方や詳細については慈恵にもとづくものだったということです。

 

そこから大正時代の中期へ至るまでは、救貧事業の時代へとなっていきました。
これは貧困へ陥ってしまった人に対して、事後的なかたちで救済措置をとるというものであり、日本全国で富国強兵という取り組みがなされていく中において必要とされる制度ということで確立されたものでした。

 

それが次第に、そもそも貧しくなる前に何とかしようという「防貧」が重視されるようになり、大正中期以降は社会事業が形成されていくことになります。
大正7年にお米の価格が暴騰したことによって起こった米騒動も関係していて、日本政府では社会局、地方においては方面委員制度が創設され、貧民調査などが行われることとなりました。

 

ここへきて困っている人を助けることについて、社会にとっての責務とする原則が見られるようになったのです。
そして第二次世界大戦が終わり、日本国憲法の成立によって社会福祉がスタートします。

 

日本国憲法第二五条で生存権、つまり生きていくことが権利として定められたことから、社会福祉についても国民にとって権利ということになりました。
もしも社会的、経済的に困っていることがあって公的に十分な助けが得られていないということであれば、人々の側から自ら状態の改善について求めることができるようになっています。

 

社会的にハンディキャップを負っている人については個別に身体障害者福祉法、児童福祉法などといった法律が定められていて、社会保障の中に属する分野として位置づけられています。